羌瘣(きょうかい)は、史記にも登場する人物で実在が確認する事が出来ます。
ただし、キングダムのように女剣士だったとか、蚩尤(しゆう)の末裔だとか、そういう記述はありません。
史記に登場はしますが、羌瘣は、王翦(おうせん)と、楊端和(ようたんわ)と共に趙の首都邯鄲を攻めた位の記述しかありません。
その後、邯鄲から逃げた幽穆王を東陽で捕らえて、燕の攻略に向かった所で史実の羌瘣の足跡が途切れています。
ただし、羌瘣は登場しなくなりますが、燕を攻略する所で李信(キングダムでは信)が史書に登場するようになります。
今回は、羌瘣の史実の実績を中心にしたお話しです。
ちなみに、キングダムでは羌瘣と龐煖(ほうけん)が一騎打ちをするシーンもありますが、残念ながら史実ではそういう記録はありません。
むしろ龐煖が武神だったとする記述はなく、春秋戦国時代の後期には老人になっていた説まであるほどです。
史実の羌瘣と龐煖が一騎打ちをすれば、楽勝で羌瘣が勝った可能性が高いと言えるでしょう。
蚩尤とは何か?
キングダムの設定では、羌瘣は蚩尤の末裔という事になっています。
蚩尤と言うのは、暗殺者集団のような描き方をされていますが、黄帝と戦った怪物ともされています。
史書でいう怪物は、本当の化け物ではなく異民族を指しているのかも知れません。
黄帝が中国最初の帝だとも考えられていて、司馬遷の史記では帝王の王朝を紹介する本紀の部分で、五帝本紀の最初に登場する人物です。
史書によっては、三皇(五帝の前の時代)に入れられる事もありますが、多くの場合で五帝の最初の人物となります。
中国の帝王は、全ては黄帝から始まったとも言えるわけです。
その黄帝の実績の一つが蚩尤を討伐した事です。
蚩尤は、72人の兄弟と共に大軍を率いて、黄帝に背いたと言われています。
豪雨を降らせたりの濃霧を発生させたりして、黄帝を苦しめますが指南車を作り、ついに蚩尤を倒したとも言われます。
黄帝の戦いについては、熊や豹などの獣を戦争で使った記述もあります。
しかし、猛獣を戦場で仕えるのか?と言ったら疑問点もかなり多いです。
下手すると自分が猛獣に噛まれてしまうでしょう・・・。
黄帝は、この様にして蚩尤を倒したとされています。
ただし、これが紀元前何世紀ごろなのか?と言われるとはっきりとしません。
中国は、三皇五帝→夏王朝→殷王朝→西周王朝→春秋戦国時代→秦という時代になっています。
キングダムの世界は、春秋戦国時代の末期ですし、西周王朝時代の辺りは年代がとにかくはっきりとしません。
それを考えると、黄帝はいたとしても紀元前2000年頃の人の可能性もあります。
尚、黄帝は、文字、衣服、弓、家、船などを発明したともされています。
ただし、文字を作ったとされている割には、黄帝の時代の文字は見つかっていません。
この中国最初の帝王である黄帝と戦ったのが、蚩尤だと言う事です。
破れた蚩尤が、その後にどうなったのかは不明な点が多いです。
紀元前229年に趙の邯鄲を攻める
司馬遷の書いた史記に、羌瘣は、王翦、楊端和と趙の首都である邯鄲を攻めた記録が残っています。
しかし、李牧は桓騎(かんき)を宜安の戦いで破り大敗させるなど、大いに手こずらせたわけです。
これを秦王政や李斯などの秦の首脳陣は悩み、趙の幽穆王の寵臣である郭開に賄賂を贈り李牧を讒言させています。
幽穆王は、これを信じて李牧を自害させて、司馬尚を庶民に落としました。
李牧が死んでも、秦の羌瘣、王翦、楊端和は迂闊に攻める事をしませんでした。
王翦が総大将を務めていたと思われますが、準備をしっかりとして戦略が完全に出来上がってから、趙の邯鄲を攻めたのでしょう
このため、趙を滅ぼすのは李牧が死んだ翌年にまで、持ち越されています。
しかし、この戦いで難攻不落と言われた邯鄲を落城させる事に成功し、幽穆王は東陽に逃亡しましたが、羌瘣らの手によって捕まっています。
趙の幽穆王を捕らえたのは、羌瘣の可能性も残っているはずです。
尚、趙の東側では悼襄王の時代に傅抵が将軍となった記録も残っています。
ただし、羌瘣らが幽穆王を捕らえた時には、傅抵が反撃してきたなども記録はありません。
中山に駐屯する
羌瘣は、邯鄲を攻め落とし幽穆王を捕らえると、そのまま中山に駐屯したとあります。
中山と言うのは、趙の全盛期を築いた武霊王が中山国を破り趙の領土とした地域で、燕や斉などの国境付近にあります。
羌瘣の史記での記録は、ここまでで戦国策や諸子百家を見ても、どうなったのかは不明です。
もちろん歴史はこの後も続くわけですが、燕は秦の侵攻に恐れをなして、嬴政(後の始皇帝)を暗殺しようとして荊軻を送り込みます。
荊軻は、あと一歩まで嬴政を追い詰めますが、一歩及ばず斬られてしまったわけです。
嬴政は、激怒して燕に大軍を送り込む事になります。
この事から、燕に軍を送った事は確かなわけですが、王翦に命じて燕を攻撃して、燕の首都である薊を陥落させたと記載があるだけです。
羌瘣が従軍したなどの記述はありません。
ただし、中山に羌瘣が駐屯した事を考えてみれば、燕の攻撃に加わってもおかしくはないでしょう。
羌瘣と入れ違いで李信が登場する
羌瘣は、燕を攻める時には、いたかどうかも分かりませんが、代わりに史記だと李信(信)が登場するようになります。
李信は、刺客を送り付けた燕の太子丹を斬ったとも言われていて、嬴政から絶大なる信頼を得たとされています。
これが李信の最初の史書での記述です。
李信は、蒙恬(もうてん)と共に楚を攻めますが、項燕に敗れて失敗に終わりました。
王翦が蒙武と共に再び楚を攻めると、項燕を打ち破り楚を滅ぼしています。
この時に、秦の昌平君が楚にいて、項燕と反旗を翻しますが、ここでも羌瘣は一切登場はしません。
秦は斉を下して天下統一をしますが、羌瘣が侯の位に昇ったなども記録がなく分からない状態です。
三国志の世界でも、「羌瘣」の子孫を名乗る人物はいませんので、どうなったのかは全く分かりません。
羌瘣と太公望呂尚は親戚なのか?
羌瘣ですが、羌(きょう)を性にしています。
羌という字は、姜とも書かれたりするわけです。
周王朝を開くときに、文王や武王の軍師とした呂尚は別名として、姜子牙(きょうしが)とも呼ばれています。
呂尚とか姜子牙という呼び名よりも「太公望」の名が有名かも知れません。
呂尚は、姜姓なので羌瘣の遠い子孫の可能性もあるでしょう。
周王朝が成立すると、黄河付近の肥えた地域には姫姓(周王の一族)が封じられています。
それに対して、姜性などは姫性を囲むように配置されているわけです。
異民族などの攻撃を受ければ滅亡しやすい地域とも言えるでしょう。
絶大なる功績があったはずの、太公望呂尚でさえば、東の辺鄙な土地である斉に封建されています。
尚、周の幽王の時代に、西周王朝を犬戎と共に壊滅させた申公も姜姓の諸侯です。
もしかしてですが、羌瘣の祖先は、それらの諸侯で春秋戦国時代の末期までには、没落していた可能性も十分にあるのではないかと思います。
記録はないので分かりませんが、羌瘣は呂尚の一族の子孫だった可能性もあると言う事です。
しかし、羌姓で秦の将軍という事を考えてみれば、羌族とは関わり合いが深いのかも知れません。
尚、三国志の蜀で劉備に仕えた馬超は、羌族の血が流れているとも言われています。
それも考慮すると、馬超には羌瘣と同じ一族の血が流れている可能性はあるはずです。
羌瘣は西方の異民族である羌族の出身で、秦の穆公が西方を切り開いた時に先祖が秦に仕えた可能性もある様に思います。
斉王建を羌瘣が倒す?
この設定は、キングダムでは90%以上の確率でやらないと思いますが、戦国七雄で最後に残った斉を倒すのは羌瘣だという設定です。
史実では、北の燕の方から李信、蒙恬、王賁が斉に侵攻して斉王建を降伏させた事になっています。
それを羌瘣に変えてしまう説です。
斉王建は、本名は田建となりますが、黄帝の子孫とも言われています。
田建の先祖は、春秋時代の斉の桓公の時代に、陳の権力闘争から逃れるために斉に移動してきました。
陳は、三皇五帝の舜の子孫を名乗っている国になります。
瞬を数代遡れば、黄帝に行き着く事になります。
戦国時代になると、田常は主君を上回るほどの権勢を手に入れて、国を乗っ取ってしまったわけです。
それが戦国時代の斉に繋がっています。
斉は舜や黄帝の子孫を名乗っているわけですから、羌瘣が蚩尤の祖先であれば、先祖の仇を討つと言う事になります。
キングダムの作者の原泰久先生が脚色を加えて、羌瘣が斉王建を破り先祖の仇を討つという設定です。
やってくれたら、面白いかと思いますが、9割以上の確率でやらないと思いました・・・。
想像力の無い私の下らない妄想で終わると思われます・・・。
黄帝は、中国では伝説上の名君ですし、羌瘣が蚩尤の末裔だったとしても敵討ちをする理由はないでしょうからね・・。
信と羌瘣は結婚するのか?
李信と羌瘣はいい感じで描かれている場合もありますが、羌瘣はかなり鈍い感じも見受けられます・・・。
キングダムの信と羌瘣と河了貂の三角関係?が気になる人もいるようですが、史実の羌瘣は男だと思われます。
羌瘣は、男だったとも記録はありませんが、何も書いてなければ史実で登場する将軍は男だと思われます。
ただし、キングダムでは李信が羌瘣にプロポーズをしており、話が読めない展開でもあります。
李信の羌瘣における結婚のターニングポイントになるのは李牧が死に、趙が滅亡する時かも知れません。
史実では、ここで羌瘣が登場しなくなり、李信の名がよく見られる様になるからです。
これに合わせたタイミングで、羌瘣と李信の関係にも何かがあるのかも知れません。
史実において羌瘣の名が登場しなくなるのであれば、原泰久先生は自由に羌瘣を描けるはずです。
キングダム作者である原泰久先生が、羌瘣と信と河了貂の関係をどのように描くのか?も楽しみです。
ちなみに、キングダムの羌瘣は美人でしかも可愛く描かれているので、かなり萌えるキャラだと思いました。
尚、キングダムでは羌瘣の妹分として羌礼が登場していますが、羌礼は史書に名前が無く実在した人物とは言えないでしょう。