史記には、刺客列伝と呼ばれる個所があります。
司馬遷が書いた史記には、軍人や政治家ばかりではなく、実際にいたインパクトのあるような人物もピックアップしているわけです。
刺客と言うと、お金の為に人を暗殺しているイメージがあるのかも知れません。
現在の、刺客と言えばライフル銃を持ったスナイパーを想像する人が多いのではないでしょうか?
ピストルなどの飛び道具で、マンションの一室などからターゲットを銃弾で打ち抜き、颯爽と帰っていくイメージがあるのかも知れません。
しかし、司馬遷が書いた史記の時代の、刺客と言うのは、ターゲットを刺殺したりしますが、自分は生きて帰る事が出来る保証はありません。
むしろ、暗殺に成功しても、警護兵などにより殺されてしまうのが普通です。
史記の刺客列伝には、曹沫、専諸、豫譲、聶政、荊軻の5人の話しが収録されていますが、どの人物も自分を認めてくれた人の為に、命を張ったわけです。
ここでは、史記の刺客列伝に登場する5人の人物のあらすじや簡単な感想などを紹介します。
曹沫、専諸、豫譲、聶政、荊軻の5人はインパクトがあるので、いずれは、一人一人詳しく書きたいなと考えています。
歴史というのは、政治家や将軍だけではない事を教えてくれるのが、史記の刺客列伝だと思います。
尚、歴史作家の宮城谷昌光さんは、「史記の中で刺客列伝が一番人気ではないか?」と言っておられましたが、自分もそのように思っています。
曹沫は、斉の桓公を脅迫する
曹沫は、春秋時代に魯の荘公に仕えた将軍です。
荘公に仕えると、1度は斉の大軍を破るわけですが、続けて3回も戦いに敗れてしまいます。
しかし、荘公は曹沫を気に入っていて、将軍を続けさせています。
曹沫が戦いに敗れた時に、魯の荘公は遂邑(地名)を斉の桓公に割譲する事で、和議を結ぼうとします。
斉の桓公と魯の荘公は会盟を行いますが、調印する直前に曹沫は、突然、斉の桓公に匕首(あいくち)を持って近づき、首に匕首をあてたわけです。
突然の出来事で、警護兵たちも、斉の桓公を守る事が出来ません。
曹沫は、桓公に土地を割譲する事を考えなおす様に脅迫しました。
考え直さなければ、桓公を殺すという勢いだったのでしょう。
桓公は、脅迫されてやむなく、土地の割譲を辞退する誓約書を書いたわけです。
桓公が誓約書を書き終わると、曹沫は匕首を投げ捨てて臣下の位置に戻っていきました。
これに関しては、魯の荘公は知らなかったと思いますので、かなりビックリしたのではないかと思います。
会盟が終ると、斉の桓公は約束を反故にしようとします。
しかし、斉の宰相である管仲が「脅されたと言えども、約束は約束です。反故にすれば信義を失う」と言うと、桓公もそれに従います。
斉の桓公は脅されても約束をちゃんと守った事で、諸侯から信頼される様になり、後には春秋五覇の一人に数えられるほどになります。
管仲は、春秋戦国時代で5本指に入るほどの名宰相ですが、史記には「災いを持って福となす事が優れていた」と記載があります。
曹沫の件を見ても、災いを福とした結果が、約束を守り諸侯の信頼を得る事だったのでしょう。
尚、曹沫に関してですが、斉の宰相が管仲でなければ殺されていたのかな?とも感じます。
しかし、3度戦いに敗れても刺客として意地を見せた、曹沫も見事と言えるでしょう。
伍子胥が紹介した暗殺者・専諸
伍子胥は、楚の平王に父親である伍奢と、兄である伍尚を楚の平王に殺されて呉に亡命しました。
伍子胥は、楚に対して恨みを晴らすために、呉に行ったわけです。
当時の呉は、後継者問題のねじれから、呉王僚を倒して、自分が王位に就く事を考えている公子光がいました。
伍子胥は、後継者問題が片付くまでは、呉は安定しないと考えて、在野に下り晴耕雨読の生活を始めます。
この時に伍子胥は専諸と知り合い、公子光に専諸を紹介したわけです。
伍子胥が公子光に、暗殺者(専諸)を紹介するシーンは史記の名場面の一つと言ってもよいでしょう。
後に、公子光は呉王僚を酒宴に招き、その席で専諸に呉王僚を暗殺させています。
この時に専諸が手にした剣が魚腸剣と呼ばれ、呉王闔閭は生涯に渡り魚腸剣を大切にしました。
専諸は警護の兵に殺されてしまいますが、専諸の子を上卿に任命する事で恩に報いたわけです。
尚、呉王僚の子に慶忌という剣の達人がいて、呉王闔閭を悩ませますが要離が暗殺する事に成功しています。
史記の刺客列伝には登場しませんが、要離もかなりの苛烈な人物だと言えるでしょう。
予譲は国士としての礼に報いる
史記の刺客列伝と言えば、予譲と言えるほどの人物です。
予譲は、豫譲(よじょう)と書かれる事もあります。
予譲は、晋の大臣である范氏・中行氏に仕えますが、大して相手にされませんでした。
しかし、智伯に仕えると国士の如く厚遇を受けたわけです。
智伯自体は、非常に傲慢な人だったという話も伝わっていますが、予譲に対しては非常に可愛がった話があります。
しかし、智伯は、同じ晋の大臣である趙襄子(趙無恤)を攻め滅ぼそうとしまうが、韓・魏の裏切りにより敗死しています。
この時に、予譲は智伯の敵討ちを誓うわけです。
予譲は、左官屋に変装して、趙襄子を打とうとしますが、殺気でバレてしまい捕まってしまいます。
趙襄子の側近は殺す様に進言しますが、趙襄子は義士だと言い釈放してしまいます。
しかし、予譲は復讐するのを諦めません。
趙襄子に顔を見られてしまった為に、漆などで被れさせて別人になりすまして、趙襄子を討とうとします。
街中で妻に会いますが、予譲は気づかれませんでした。
そこで、古くからの友人に会ってみますが、今度は気付かれてしまいます。
予譲を見た友人は涙を流して「予譲ほどの才能があり趙襄子に近づけば必ず可愛がってくれる。その時を見計らって殺害すれば簡単に願いは成就出来るはず。それをなぜ身をやつしてまで行おうとするのか」と言うわけです。
予譲は「自分は智伯様の家来として仇を討ちたいと思うから」だと言うわけです。
しかし、結局は予譲は暗殺を試みますが、趙襄子に見つかってしまいます。
趙襄子は、「范氏、中行氏に仕えていた時は、復讐も考えなかったのに、なぜ智伯だけに、そこまでして報いようとするのだ」と言います。
それに対して、予譲は「范氏、中行氏は自分を並みの者として扱ったからだ。しかし、智伯様だけは自分を国士として扱ってくれた。だから恩に報いようとするのだ」と言います。
この話を聞いた趙襄子は涙を流しますが、予譲がいつまでも命を狙い続ける事を知り処刑するわけです。
予譲の話しは「士は己を知る者の為に死す」でも、有名な話となっています。
聶政と姉
聶政は韓では、任侠として名が通っていましたが、人を殺してしまった為に、母と姉を連れて斉に身を隠しています。
そこに厳仲子という人物が訪ねてきます。
厳仲子は、交わりを結びたいと、いつも大金や母親への長寿を祝い贈り物を持ってくるわけです。
それが何度も続くと聶政は不思議に思い、厳仲子に理由を尋ねます。
すると、厳仲子は、自分は韓の大臣をやっていたが、仇(侠累)がいて討ってくれる者を探している事を伝えたわけです。
しかし、聶政は自分は年老いた母親や姉に災いが及ぶ事を恐れて、厳仲子の申し出を断ります。
数年が経つと、聶政の母親は他界して、姉も嫁に行ってしまいます。
一人になった聶政は、厳仲子の事を思い出して「自分は単なる人に過ぎないのに、厳仲子様は自分の事をここまで評価してくださった」と言い、厳仲子の元に行きます。
厳仲子に、韓の宰相である侠累を討ちたいと告げたわけです。
聶政は承諾し、厳仲子は部下を付けるといいますが、聶政は一人の方がやりやすいと断っています。
聶政は、韓に行き侠累の居場所を知ると、一気に暗殺しています。
しかし、結局は兵士に囲まれてしまい助からない事を知ると、自分の顔を剥ぎ、目をくりぬき、自分の腸を引き出して絶命したわけです。
聶政の姉がまだ生きている為に、被害を被るのを恐れて、誰がやったのか分からない様にするための行動です。
しかし、聶政の姉は胸騒ぎを覚えて駆けつけて、聶政の死体を見ると自分の弟だと言う事を悟ります。
そこで、聶政の名が埋もれるのは耐えられないと言う事を告げ、聶政の事を周りに伝えると姉も自殺してしまいました。
史記の刺客列伝の中で、一番泣けるのは聶政の話だと個人的には思っています。
始皇帝を暗殺しようとした荊軻
燕の太子丹は、秦に人質に行きますが、嬴政(後の始皇帝)に冷遇された事で恨みを抱きます。
しかし、燕は弱小国なので、秦とは国力が違い過ぎます。
そこを憂慮して側近の菊武に相談すると、田光を紹介してくれます。
しかし、田光は自分では年老いて役立たたないと言い、荊軻を推薦したわけです。
余談ですが、田光は理由もあるわけですが、この後に自殺しています・・・。
荊軻ですが、太子丹と面会すると、いきなり刺客になって欲しいと依頼されるわけです。
これには、荊軻もビックリしますが、一国の太子が浪人のような自分に対して、健気にお願いする姿を見て憐み、刺客となる決断をします。
荊軻は、嬴政を油断させるために、秦で罪を受け懸賞金が掛かっている樊於期(はんおき)を説得して自決させて首を土産に暗殺しようとするわけです。
しかし、荊軻は秦に乗り込むと奮戦しますが、お供にした暴れん坊の秦舞踊が全く役立たずに、暗殺は失敗しています。
これがきっかけで秦は燕に対して大軍を動員する事になりますが、始皇帝の肝を冷やす事件となったわけです。
尚、荊軻に暗殺を依頼した太子丹を斬ったと言われている人物は、漫画キングダムの主人公でもある李信です。
刺客列伝の感想
刺客列伝では、曹沫、専諸、豫譲、聶政、荊軻の5人を紹介しています。
この5人に共通しているのは、自分を認めてくれた人の為に命を捧げたと言う事です。
もちろん、刺客として成功した人もいれば失敗した人もいます。
しかし、普通の人では出来ないような感覚の持ち主だと言う事はありません。
特に、豫譲、聶政あたりはかなり泣けるのではないかと思います。
史記の凄さというのは、庶民であってもスポットライトを当てている点ではないでしょうか?
曹沫、専諸、豫譲、聶政、荊軻のような部下を持てた主君はある意味幸せな人だと感じます。
尚、三国志の世界で許貢の食客が主君の仇である孫策を討ちましたが、裴松之は許貢の食客を古の烈士だと讃えています。
個人的な感想ですが、ここでいう古の烈士は刺客列伝に登場する5名を指すと感じました。
史記を読んでみたいけど、どこから読んでみればいいのか分からない。という人がいれば、刺客列伝を読んでみる事をお勧めします。
あと、人と言うのは、自分の為ではなく、誰かの為である場合に、強烈な力が発揮できる生き物なのかも知れません。
そんな事を教えてくれるのが、史記の刺客列伝です。