
| 名前 | ホルエムヘブ |
| 生没年 | 生年不明ー前1295年頃 |
| 在位 | 前1323年頃ー前1295年頃 |
| 時代 | エジプト文明、エジプト新王国 |
| 国 | エジプト第18王朝 |
| 一族 | 配偶者:ムトネジュメト |
| コメント | 第18王朝の最期のファラオ |
ホルエムヘブはエジプト第18王朝の最期のファラオとなっています。
王名表では在位59年となっていますが、これはアメンホテプ3世が亡くなった後に、ホルエムヘブがファラオになっており、真実ではないでしょう。
王名表ではアクエンアテンやツタンカーメン、アイなどのファラオが抜けている状態です。
ただし、ホルエムヘブの治世は14年説もあれば、27年説もありはっきりとしません。
ホルエムヘブはツタンカーメンの時代には大将軍となっており、政権の中枢にいましたが、アイが即位すると失脚しました。
しかし、アイの死後にファラオとなり、アテン信仰を否定する政策を行っています。
ホルエムヘブが亡くなった時に、後継者を信頼厚い部下であるラムセス1世としました。
ラムセス1世が即位した事で王朝が完全に交替しており、エジプト第18王朝は滅亡し、エジプト第19王朝が勃興する事になります。
大将軍時代のホルエムヘブ
ヒッタイトのムルシリ2世に対し、シリアで反乱が勃発しました。
ここでヒッタイトはエジプト第18王朝とやり取りを行いますが、ここで「アルマア」という人物とやり取りをした事が分かっています。
アルマアはエジプト第18王朝の政府高官であり、大将軍となっていたホルエムヘブと同一人物ではないかとする説があります。
ただし、ホルエムヘブではないとする説もあり、分からない部分が多いです。
それでも、ツタンカーメンの時代には大将軍となっており、アイと共に政治の中枢にいました。
ツタンカーメンが亡くなり、アイがファラオになると名前が見えなくなり失脚したと考えられています。
しかし、アイの死後にファラオとして復活する事になります。
ファラオとなる
宰相からファラオになったアイは、将軍のナクトミンを後継者にする予定でした。
しかし、アイの時代に政権から排除されていたホルエムヘブが、動く事になります。
ホルエムヘブはファラオとなりました。
ホルエムヘブはアイに対しては恨みを持っていたのか、アイの王墓の壁画を破壊し、メディネト・ハブにあるアイの葬祭殿も自分のものとしました。
さらに、アイに近しい者達を排除し、自らの政権を打ち立てる事になります。
アイの死後にホルエムヘブが求心力を集める事が出来たのは、ツタンカーメンの時代には行政の最高責任者となっており、大将軍としても評価されていたからだと考えられています。
他にも、妻としてネフェルティティの妹の、ムトネジュメトを迎えたからだとする説もあります。
ただし、ムトネジュメトに関しても分かっていない部分が多々あり、アイの娘とする説まである状態です。
アテン信仰の抹消
ホルエムヘブはファラオになると、アテン信仰の抹消に動く事になります。
それと同時に、アメン神を中心とする伝統的な宗教の復活を加速させました。
アクエンアテンのアマルナ革命により、アテン神は一神教となりますが、この時代には多神教がかなり戻って来たと言えます。
ホルエムヘブはカルナクのアテン神殿を破壊し、自らが造った塔門の詰石に使いました。
アマルナ、メンフィスのアテン神殿も解体しています。
解体して残った石材などは、伝統的な神々の神殿の増築の為に再利用しました。
アテン神は太陽神の一つとして、細々と崇拝される事になります。
先王の抹殺
ホルエムヘブは、下記のファラオの抹殺を図る事になります。
ホルエムヘブはアメンホテプ3世が亡くなってから即位したのが自分だと主張し、これらの王の存在を否定する事になります。
こうした事情もあり、ホルエムヘブは59年の長きに渡り、エジプトを統治した事になっていますが、実際にはアクエンアテンからアイまでのファラオは間違いなく存在したわけです。
実際のホルエムヘブの治世は14年説や27年説もありますが、謎が多く正確な部分は不明として言い様がありません。
尚、先王たちの存在を抹消したホルエムヘブは暴君とも見られており、ツタンカーメンを殺害したのは、野心家のホルエムヘブだったのではないかとする説も存在しています。
しかし、ホルエムヘブはトトメス4世の墓の修復と再封印を、マヤに実行させたりしました。
マヤはジェフティメスと共に作業を行っており石碑も残されています。
ジェフティメスの名はツタンカーメンの墓でも見つかっており、ホルエムヘブが修復を命じたとする説もあります。
これらの行動をみるに、先王に対する畏敬の念はあったと考える専門家もいる状態です。
さらに、ホルエムヘブはアテン神への迫害を行った事は確かですが、ある程度の所で止めておいたのではないかともされています。
ホルエムヘブはヒッタイトに攻撃を仕掛けていたのか?
カイロの骨董品店で、エジプト学者が発見した石製容器に、注目が集まった事があります。
そこには、ホルエムヘブの治世16年の記録が記載されており「ビブロスから卑しきカルケミシュの王の地にかけて」攻撃を仕掛けたとあります。
ビブロスと言えば、フェニキア人の都市でレヴァント地方にあり、これが真実であればホルエムヘブの時代に、エジプト第18王朝は遠征を行いヒッタイトの領域にまで攻め込んだ事になるでしょう。
ただし、石製容器の行方が分からなくなっている様であり、今後の展開を期待したい所でもあります。
不正を嫌う
カルナクでホルエムヘブの勅令碑が見つかっており、次のような事が書かれていました。
・遠征先で略奪を行ってはならない。
・賄賂を受け取ってはならない。
・職権を乱用したり、着服してはならない。
・役人が人々を苦しめてはならない。
これらを見ると、ホルエムヘブが如何に不正を嫌っていたのかが分かる様でもあります。
ただし、こうした教えは古今東西何処にでもあるものであり、綺麗ごとと言ってもよく、何処の国でも見られる様な言葉ではないでしょうか。
尚、ホルエムヘブが不正を嫌ったのなら、先王たちを抹消してしまったのは、どうなのか?という声もあります。
ホルエムヘブが先王たちの名前を消してしまったのは、政治的な意味合いも強いのでしょう。
それと同時に、ホルエムヘブが不正を正すような勅令を出している所をみると、当時のエジプトは略奪が横行し、賄賂が飛び交い、職権を乱用する者が多く、役人が権力を使って人々を苦しめていたからとなるでしょう。
私腹を肥やす者が多くいるなかで、政治を立て直すのはホルエムヘブの重要な課題でもあったはずです。
因みに、ホルエムヘブは成り上がりよりも、世襲貴族の方が有能な官僚になれると考えていた話もあり、世襲貴族の権利を尊重した話もあります。
それと同時に、世襲貴族の協力なしでは、政権運営が難しいと判断したのかも知れません。
ホルエムヘブの最期
ホルエムヘブは亡くなる時に、後継者を自らの腹心であるラムセス1世としました。
既にラムセス1世も老齢に達していたと考えられていますが、これが最善の選択だと考えたのでしょう。
ラムセス1世以降は息子のセティ1世が即位している事もあり、エジプト第19王朝として記録されています。
エジプト文明で最も華やかな時代とも言えるエジプト第18王朝は、ホルエムヘブを最後に滅亡しました。
尚、ホルエムヘブの墓は一直線型となっており、これ以降の王墓は一直線型のものが多数を占めるようになっていきます。
| 先代:アイ | ホルエムヘブ | 次代:ラムセス1世(第19王朝) |