袁覇は袁渙の従弟であり、正史三国志に名前が記載されている人物です。
三国志の世界では、袁紹や袁術を代表する汝南袁氏が有名ですが、袁渙や袁覇は別系統の陳郡袁氏となります。
袁渙の子である袁侃、袁㝢、袁奥、袁準や親戚の袁徽などが『袁氏世紀』などの注釈に名前があるのに対し、袁覇は正史三国志の本文に名前が記載されています。
袁覇が陳寿が書いた正史三国志の、本文に記載されている事から、実在した事は間違いないでしょう。
袁渙の一族は優秀な者が多かったわけですが、袁覇もまた優れた人物だった記録が残っています。
ただし、陳寿が残した正史三国志の、袁覇に対する記述は薄く、具体的に行った事はよく分かっていません。
因みに、従弟の袁渙は名門の出であり、袁覇もまた名士と言う事になるでしょう。
尚、袁覇の弟に袁徽と袁敏がおり、袁覇の子に袁亮がいる事が分かっています。
袁亮の子が袁粲であり西晋に仕えました。
曹操に仕える
袁覇に関してですが、袁覇の字は公恪であり、豫州陳郡の出身です。
袁覇は曹操に仕えた事が分かっています。
袁覇の親戚の袁渙は劉備、袁術、呂布と仕えて、最後に曹操の配下となりました。
袁渙は乱を避ける為に揚州に行った話などもありますが、袁覇が袁渙に同行し各地に移動したのか?は分かっていません。
ただし、曹操が魏公に就任する時に、臣下達で献帝からの要請を受諾するべきだと署名した名簿の中に袁覇の名前が見えます。
曹操の「魏公就任を受諾するべし」とする大臣達の連署には「長史袁覇」とあるわけです。
それを考えると、経緯は不明ですが、袁覇が曹操に仕えた事は間違いないでしょう。
尚、下記が献帝が曹操に魏公就任を打診した時に、受諾する様に進言した者の名簿となっています。
袁覇の名前は一番最後にあります。
高い評判の人物
袁覇に関しては、正史三国志の袁渙伝に下記の記述が存在します。
※正史三国志・袁渙伝の記述
袁渙の従弟の袁覇は公正謹厳な性格であり、事務能力を兼ね備えていた。
魏が建国された当初は大司農となり、同郷の陳郡出身の何夔と共に評判の人物であった。
袁渙伝の記述からは、袁覇が何夔と共に評判の人物だった事が分かります。
文官の場合は目立たない事が多いですが、袁覇の事務処理能力が高かったという事なのでしょう。
尚、袁覇と共に評判が高かった何夔には、何曾という子がおり、袁覇の子である袁亮と仲が良かった話があります。
袁覇に関して分かっている事は殆どありませんが、共に評判が高かったとされる何夔は曹植派の丁儀と仲が悪かった話があります。
さらに、袁覇の弟の袁敏は曹丕と親しかった話もあり、曹丕と曹植の後継者争いでは、袁覇は曹丕派として動いていたと見る事が出来ます。
しかし、袁覇に関しての記録は少なく、魏ではどの様な功績があったのかも不明であり、袁覇が何処で亡くなったのかも分かっていません。
事務処理能力は早かったようですが、具体的な功績の内容は不明です。