名前 | まぐわい |
別名 | 美斗能麻具波比(みとのまぐわい) |
意味 | 男神と女神が交わり子を成す作業 |
コメント | 目と目を合わせるなどの意味もある。 |
まぐわいは、古事記や日本書紀などにおける男神と女神の交わりを意味します。
美斗能麻具波比(みとのまぐわい)と呼ばれる事もあります。
日本神話における子が出来る為の一つのパターンがまぐわいであり、最も人間らしい子孫誕生の方法だと言えるでしょう。
尚、日本神話に関しては、出会った瞬間に恋に落ちて、まぐわいをするケースも目立ちます。
今回は男神と女神の交わりであり、性交を意味するまぐわいを解説します。
因みに、あわしま・こんせい まぐわい祭の様な、破廉恥なお祭りも全国には存在し、合わせて解説します。
美斗能麻具波比
まぐわいは、古事記の原文では「美斗能麻具波比」と書いてあります。
「美斗能麻具波比」の「美斗」は、「御処」で素晴らしい所とか、「御門」で素晴らしい門との解釈もあります。
その様な事から、古代では男女が交わる事は、美しい行為だと考えられていたとする話もあります。
美しいものであるなら、瓊瓊杵尊が出会ったばかりのコノハナノサクヤヒメにまぐわいを要求しても、おかしくはないのかも知れません。
尚、まぐわいの本来の意味は、目と目を合わせるなどの意味だともされています。
イザナギとイザナミ
古事記や日本書紀で最初のまぐわいを行ったのは、男神イザナギと女神イザナミとなります。
イザナギとイザナミのまぐわいは、他とは違っており、大八島国を始めとした日本の国土までまぐわいで誕生させています。
イザナギとイザナミはオノゴロ島に舞い降りると、天御柱と八尋殿を建設しました。
イザナギは天御柱を周り、結婚してまぐわいを行っています。
まぐわいと柱はセットになっている可能性もあり、後にスサノオとクシナダヒメや瓊瓊杵尊とコノハナサクヤヒメ もまぐわいを行っていますが、立派な柱を立てた話があります。
しかし、日本書紀によればイザナギとイザナミはお互いが初体験であった為に、まぐわいのやり方が分からなかったとされています。
そこで、イザナギとイザナミは鶺鴒が頭と尻尾を振って見せる姿を、真似して交わった話があります。
神代であっても、初めての事をしたわけであり、上手く行かなくて当たり前でもあったのでしょう。
尚、イザナギとイザナミのまぐわいは、最初はヒルコが生まれ、次にアハシマが生まれますが、両方とも日本の国土にする事は出来なかったわけです。
しかし、結婚する時にイザナギからイザナミに声を掛ける様にした所、まぐわいも上手く行き国生みは成功しました。
イザナギとイザナミの話を現代に置き換えれば、恋愛は男性から誘うのが正解という事なのでしょう。
スサノオとクシナダヒメ
スサノオは暴れん坊であり、狼藉を働いた事で、天照大神が天岩戸に籠る事態に発展しました。
思金神を中心に神々は団結し、天岩戸から天照大神を出す事に成功しています。
しかし、スサノオは高天原を追放され地上に舞い降りたわけです。
スサノオは地上では、八岐大蛇を退治し、クシナダヒメと結ばれています。
スサノオはクシナダヒメと住む宮殿を建造し、柱を立てています。
そして、まぐわいを行いました。
スサノオはクシナダヒメとの間に、八島士奴美神を生んだ話がありますが、これはまぐわいで生まれたと考えるべきでしょう。
スサノオはクシナダヒメだけではなく、神大市比売との間に大年神なども生んでいます。
普通に考えれば、大年神も神大市比売とのまぐわいにより誕生したとみるべきです。
尚、スサノオは天照大神との間にも、宗像三女神などの子を授かっています。
しかし、天照大神とスサノオの子が誕生したのは、誓約で誕生させたのであり、まぐわいで誕生したとは言わないはずです。
大国主と妻たち
スセリビメ
大国主は兄の八十神の迫害を受け、オオヤビコの進言もあり、根の堅州国にいるスサノオの元に行きます。
大国主が根の堅州に行くと、はスサノオの娘であるスセリビメが対応してくれました。
この時に、大国主とスセリビメは出会ったばかりだったにも関わらず、恋に落ちまぐわいを行っています。
後に大国主はスサノオの元から逃げ出し、スセリビメと駆け落ちしています。
ただし、大国主とスセリビメはまぐわいは行いましたが、子供が生まれた話は伝わっていません。
それを考えると、まぐわいを行えば必ず子が誕生すると言うわけでもないのでしょう。
ヤガミヒメ
因幡の白兎で有名なヤガミヒメも大国主とまぐわいを行った話があります。
大国主は根の硬州国から帰還した後に、兄の八十神らを倒す事に成功しました。
その後に、ヤガミヒメと大国主はまぐわいを行っています。
尚、ヤガミヒメと大国主の間には、木俣神が生まれますが、ヤガミヒメはスセリビメを畏れ因幡に帰ってしまった話があります。
奴奈川姫
古事記によれば、大国主は奴奈川姫を求めて、越国まで行ったとされています。
大国主は奴奈川姫に夜這いを掛けますが、1日目は失敗に終わりました。
しかし、次の日に大国主は再び奴奈川姫の屋敷に行きます。
今度は奴奈川姫は大国主を屋敷に入れた事で、無事にまぐわいが行われました。
出雲の国譲りの話で、有名なタケミナカタは、奴奈川姫と大国主の子だともされています。
ただし、奴奈川姫と大国主の話には、翡翠の話もあり不幸な結末が待っていたともされています。
瓊瓊杵尊とコノハナサクヤヒメ
天孫降臨で高千穂に舞い降りたのが、瓊瓊杵尊です。
瓊瓊杵尊は笠沙の岬で、コノハナサクヤヒメを見つけました。
この時に、瓊瓊杵尊はコノハナサクヤヒメにいきなり結婚を申し込んだとも、まぐわいを要求したとも言われています。
当時の身分の高い男性は、女性にいきなりまぐわいを求めるのも普通にあったのではないか?と考えられています。
いきなり体を求められたコノハナサクヤヒメですが、父親の大山津見神に聞いて欲しいと述べています。
後に、瓊瓊杵尊は大山津見神の許可を取り、コノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメを妻として迎えました。
しかし、イワナガヒメは美人で無かった事から、実家に帰らせてしまいます。
これにより瓊瓊杵尊は、永遠の命を失ったわけです。
瓊瓊杵尊はコノハナサクヤヒメとまぐわいを行い、コノハナサクヤヒメは身籠りました。
コノハナサクヤヒメは身籠った報告を瓊瓊杵尊に行いますが、瓊瓊杵尊は自分の子ではなく「国津神」の子だと言い放ちます。
怒ったコノハナサクヤヒメは、炎の中で出産し生まれたのが、火照命、火須勢理命、火遠理命の三柱です。
尚、火遠理命の別名が山幸彦であり、神武天皇の祖父となります。
山幸彦と豊玉姫
山幸彦は兄である海幸彦の釣り針を失くしてしまいます。
途方に暮れる山幸彦でしたが、塩椎神が現れワタツミの宮殿を教えてくれます。
塩椎神が用意してくれた竹で編んだ籠の船で、山幸彦はワタツミの宮殿を目指しました。
ワタツミの宮殿には豊玉姫がおり、豊玉姫は山幸彦に一目惚れし、二人は夫婦となっています。
後に、豊玉姫はウガヤフキアエズを生む事になります。
それを考えると、豊玉姫と山幸彦もまぐわいを行った事は確実でしょう。
ただし、豊玉姫の正体はワニ(サメ)であり、山幸彦はサメとまぐわいを行った事にもなるはずです。
尚、ウガヤフキアエズの子の中の一人が神武天皇となります。
番外編
足名椎命と手名椎命
足名椎命・手名椎命はクシナダヒメの親であり老夫婦という設定になっています。
描写はありませんが、足名椎命と手名椎命もまぐわいを行った可能性があります。
八岐大蛇の話の時に、足名椎命と手名椎命に8人の娘がおり、八岐大蛇に食べられてしまいクシナダヒメ一人になってしまった話があります。
神を誕生させる方法は「誓約」、「服装や自分の体から生まれる」「勝手に成り出る」「まぐわい」などがあります。
しかし、男神と女神がいる場合は「まぐわい」を行い出産していると感じました。
それを考えると、クシナダヒメも足名椎命と手名椎命のまぐわいにより、誕生したと考えるのが自然だと言えるでしょう。
尚、足名椎命・手名椎命は老夫婦という設定になっており、クシナダヒメを生んだ時には、高齢出産だった可能性もあります。
ただし、瓊瓊杵尊以前の神には寿命という概念がなく、足名椎命・手名椎命は生まれた時から老人だった可能性もあります。
天之冬衣神とサシクニワカヒメ
天之冬衣神の名前は、馴染が薄いかも知れませんが、大国主の父親にあたる人物です。
天之冬衣神は逸話も特にない事から、非常に影が薄い存在だと言えます。
サシクニワカヒメの子が、大国主なのですから、普通に考えれば天之冬衣神とサシクニワカヒメもまぐわいをしたと考えるのが妥当なはずです。
ただし、天之冬衣神とサシクニワカヒメがまぐわいを行った描写は無く、真実は不明な部分もあります。
あわしま・こんせい まぐわい祭
大人のおまつりと言わんばかりに、あわしま・こんせい まぐわい祭があります。
あわしま・こんせい まぐわい祭は東北の盛岡市で開催されているお祭りです。
あわしま・こんせい まぐわい祭は奇祭として、全国でも名高いお祭りとなっています。
盛岡市のHPで開催情報が記載されていますので、気になる場合は問い合わせてみるのがよいでしょう。
祭名 | 問い合わせ先住所 | 問い合わせ先電話番号 |
あわしま・こんせい まぐわい祭 | 〒020-0061 岩手県盛岡市北山2丁目12-12 | 019-661-6211 |