袁紹軍の猛将と言えば顔良と文醜を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
顔良はその中でも、文醜を弟分としているため、筆頭の将軍だと思っている人も多いかと思います。
反董卓連合軍が結成されて、董卓軍の華雄や呂布に蹴散らされる連合軍の将をみて袁紹は顔良・文醜を連れて来るべきだったと嘆いたのは有名です。
官渡の戦いでは、曹操軍の名だたる武将を蹴散らしていますが、白馬の戦いで関羽に呆気なく斬られています。
そのため関羽の強さばかりが目立つのですが、史実では関羽が不意打ちで顔良を倒した説もあるわけです。
今回は史実の顔良の戦いぶりを解説します。
尚、おまけとしてイケメン説のお話も掲載しておきます。
三国志演義での顔良
三国志演義だと白馬に進撃した顔良を宋憲、魏続が迎え討ちます。
宋憲と魏続は呂布を見限り曹操に寝返った武将です。
しかし、宋憲も魏続も呆気なく顔良に討たれてしまいます。
とにかく顔良が大暴れしてしまい手を付ける事が出来ません。
そこで顔良に挑んだのが、徐晃です。
徐晃は三国志のゲームなどでは武力は90以上あるのが普通で、顔良にも引けを取らない様に思います。
しかし、ここでは顔良に勢いがあったせいか、徐晃も簡単に退けられてしまいます。
横山光輝さんの三国志では、この時の顔良を下記のように表しています。
顔良の駆け抜けるところ、草も木もみな朱に伏し、さすがに曹操軍の兵士も恐怖にかられ、総崩れの状態となった
顔良が強すぎてしまい手が打てない状態だったわけです。
そこに関羽が顔良を倒すと言い、戦いを挑むと簡単に顔良は破れて首を取られています。
今までの戦いぶりは何だったんだ?と思えるほど、呆気なく敗れ関羽の圧倒的な強さだけが印象付けられたわけです。
これが三国志演義での顔良です。
汜水関の戦いで、孫堅を苦戦させ、名だたる将を討ち取ったのに関羽に呆気なく敗れる華雄に似ている気もします。
尚、三国志演義でも顔良は猛将となっていますが、ここ以外での活躍はイマイチ分かっていません・・・。
正史三国志の顔良
正史三国志の顔良ですが、そもそも顔良伝があるわけでもなく、名前自体も見当たりません。
しかし、後漢書の袁紹伝には顔良の記載があります。
そこで、戦いの戦歴などを調べてみても、白馬の戦いに出撃した事くらいしか分からないわけです。
曹操軍の孔融は顔良の事を「勇猛な武将」とし危険人物だと評価しているわけです。
それを考えれば、正史三国志の記録や後漢書に載っていないだけで活躍したのではないかと思われます。
公孫瓚討伐などで活躍した可能性も高いでしょう。
ただし、味方の沮授からは「顔良は勇猛ではありますが、短気でせわしい性格をしています。一人で任せてはいけません」と進言したとされています。
ここで、資料によって郭図と淳于瓊を付けて出陣させた説と、袁紹は聞かずに単独で顔良を出撃させた説に分かれます。
どちらが正しいのかはもちろん分かりませんが、顔良が白馬を守っている劉延を攻めた事は間違いないです。
曹操の軍師である荀攸が計略を立てて于禁と楽進を袁紹軍の後方を脅かす動きを見せるように指示します。
これを見た郭図と淳于瓊は陣を移動しますが、顔良だけは白馬の攻撃を寡兵で続けたわけです。
顔良が孤立したところで、曹操は張遼と関羽に攻撃命令を出し、関羽が顔良を討ち取った事になっています。
顔良が徐晃を撃破した記録も、宋憲や魏続を討ち取った事も書いてないわけです。
大した活躍もなく散った武将にしか見えません・・・。
史実の顔良は寂しいほどに活躍がないわけです・・・。
顔良は不意打ちで関羽に討たれた?
顔良は関羽に不意打ちで討たれたとする説が存在します。
顔良は、袁紹陣営にいた劉備に次のように言われたとされています。
劉備「曹操の武将として関羽がいたら、自分(劉備)が袁紹の元にいると伝えて欲しい。
関羽は赤ら顔で髭が長く身長が2メートルほどある。
私が袁紹殿の元にいる事が分かれば、駆けつけて来てくれるはずだ。」
関羽は身長も高く独特な風貌をしているため、顔良は戦場で関羽を見た時にすぐに分かったはずです。
顔良は白馬への攻撃命令を受け陣を張り塁壁を高くして戦争の準備をしていました。
そこに共を数人引き連れた関羽がやってきたとされています。
顔良は劉備から関羽の事を聞いていたので、「関羽は自分から寝返って来たんだ」と勘違いし、本営まで通してしまったそうです。
そこで、顔良は関羽に劉備は袁紹の元にいる事を聞かされたわけです。
しかし、関羽は曹操に恩があるから、顔良の首が欲しいと言い、いきなり顔良に襲い掛かり首を斬り、そして兵たちが唖然とする中を曹操陣営に戻ったそうです。
もちろん、顔良は不意打ちで討たれてしまったわけで、兵士は混乱をきたし、白馬から撤退する事になりました。
これだと羅貫中の三国志演義とはかけ離れたストーリーとなります。
尚、顔良の死を聞いた袁紹は激怒したと伝わっています。
さらに、沮授の意見に耳を傾けなくなり、沮授は病を理由に戦場を離脱しています
袁紹は曹操との決戦を反対した田豊を既に獄に繋いであるので、袁紹軍の頭脳ともいえる二人を離脱させてしまったわけです。
それを考えると、官渡の戦いの袁紹の躓きは顔良の死から始まったと言えそうです。
ただし、袁紹はかなり激怒したようなので、それを考えると関羽は不意打ちで顔良を討ち取った事も十分に考えられるのではないかと思います。
しかし、不意打ち説の方が真実味があるような気がして、自分は好きです。
尚、荀彧は顔良の事を「自分の武力を背景に戦う事しか出来ないから1戦で捕らえる事が出来る」と宣言しています。
しかし、この顔良のやられ方であれば「一戦してねえじゃん」と思ったのは、私だけでしょうか。。。
一戦する前に、死んでるじゃんとツッコミを入れたくなったほどですが・・。
劉備と関羽の不思議な関係
関羽は顔良を討ち取ったわけですが、劉備と袁紹の関係は微妙になった事でしょう。
曹操は劉備を厚遇したにも関わらず裏切っているわけですし、殺意のリストに入ったと思われます。
関羽の方もこうなる事はわかっていたと思うわけです。
関羽は曹操に恩を返すために、顔良の首を取ったわけですが、目的としては劉備の元に戻る事が大事なはずです。
顔良を斬っても劉備が死んでしまえば元も子もないでしょう。
しかし、気楽に考えて「劉備だったら何とかやるだろう」と思っていたのかも知れません。
劉備はこの時に、袁紹に兵を借りて曹操の本拠地である許の近辺まで揺さぶりをかけるなど活躍しています。
許の近辺の有力者などに対しても、積極的に寝返るように説いていたり、かなり真面目に仕事をこなしているわけです。
しかし、曹操軍の名将曹仁に攻撃を掛けられると、兵力では優勢にも関わらず呆気なく敗れてしまいます・・・。
もちろん、自慢の逃げ足を使い、劉備は逃走した事は言うまでもありませんが・・。
それでも、関羽が顔良に斬られた時に、劉備が袁紹の近くにいたとしたら、命の危険はあった事でしょう。
いなかったからよかったのですが、その辺を関羽が理解していたのかは不明です・・。
関羽も関羽で、変なところで義に囚われる部分があるような気がしてなりません。
ただし、劉備はこの時に、袁紹軍としてかなり真面目に頑張っていた事から、関羽が顔良を斬った事で「関羽!何やってんだ!俺の足を引っ張るな!」と激怒した可能性もあります。
顔良はイケメンではないと思う
顔良はイケメンだったのではないか?とネットでも言われています。
確かに名前が顔良ですから「かおよし」となるわけです。
しかし、史実を見ると顔良の容貌に関する記述はないので、実際のところは分かりません。
三国志では顔がイケメンだったとか書かれているのは、周瑜や孫策、荀彧など一部の人だけです。
尚、顔良がイケメンと判断される一方で、文醜の方はブサメンと判断される事も多いようです。
文醜辺りは名前の付け方も可哀そうだと感じています。
尚、文醜は三国志演義では「伝説の化け物のような顔をしている」と記述があります。
それを考慮すると、文醜が余りにもブサメンなので、顔良がカッコよく見えたなどの説もあってもいいかなと思いました。
顔良と文醜は同僚で飲みに行ったりすると、文醜が余りにもブサイクで女性に相手にされずに、顔良ばかりチヤホヤされていたのかも知れません。
そして、妬んだ文醜が「顔良は顔がいいだけ」といったかは定かではありません。
しかし、記録が無いだけで顔良はそこそこのイケメンだった可能性は十分にあるでしょう。
もちろん、正史三国志には顔良・文醜の外見に関する記述もありません。
そのため、顔良と文醜は二人ともイケメンだった可能性も残っています。
もちろん、裏を返せば両方ともブサイクだった可能性もありますが・・。
それを考えると、大活躍して「男は顔じゃない」という所をもっと見せて欲しかったような感じもします。
尚、三国志には名前に「顔」が付く武将として蜀の厳顔もいます。
厳顔も正史三国志には老人だった記述はありませんが、「厳しい顔」という名前は老人を連想させるせいか三国志演義では老人として扱われています。
厳顔は正史三国志にはない黄忠との老将軍タッグ三国志演義では組むなどもしています。
顔良で思った事
孔融は勇将だと顔良の事を評価しています。
しかし、孔融は、禰衡みたいな奇人系を評価したり、太史慈の詐欺行為なども評価しているわけです。
そのため、孔融が顔良を評価したからと言って、あてにならない様な気もするわけです。
それを考えると、荀彧などの言う様に「ただの猪武者」の方が当たっているのかも知れません。
袁紹は顔良の事を春秋戦国時代や秦の匈奴征伐でも活躍した蒙恬のような存在だと思っていたという話もあります。
それを考えると、顔良を失った袁紹の痛みは大きかったのでしょう。
個人的には、もっと具体的な顔良の活躍も知りたかったかなと感じています。