
呉鳳明は漫画キングダムに登場する人物で、呉慶の子という設定になっています。
呉慶は史実にも登場する人物ですが、呉鳳明は架空の人物です。
父親の呉慶は知略型の武将として描かれましたが、呉鳳明は発明家としてのスキルも追加されたました。
呉鳳明は函谷関の戦いでは井闌車を用いて戦うなどしていますが、合従軍は敗れ撤退に追い込まれています。
著雍の戦いでも敗れますが、什虎の戦いでは秦と共闘し、井闌車を用いて城の陥落に大きく貢献しました。
呉鳳明の初登場
呉鳳明の初登場は合従軍編であり、キングダムの第266話『因縁の子』で、秦の麃公と戦っています。
春申君と李牧を中心とする合従軍が結成され、楚、趙、魏、燕、韓の軍は、秦の要衝である函谷関を目指して移動していましたが、呉鳳明が率いる魏軍は秦の麃公と交戦しました。
麃公は魏軍の左を攻撃していましたが、配下の朱比は「馬鹿扱い」しましたが、呉鳳明は移動式の高台から見ており、麃公だと察知し侮るなと命令しています。
この時に呉鳳明は麃公を「我が父 呉慶を討ちし男だぞ」と述べており、呉鳳明が呉慶の子という設定になっている事が分かるはずです。
麃公の軍を見た呉鳳明は呉慶と同じポーズで「すり潰せ」と命令しました。

さらに、信ら飛信隊も駆け付けてきますが、呉鳳明は「もっと面白いことをやろう」と述べ、魏軍は突如として軍が自軍の中央の中へ移動を始めました。
呉鳳明の特殊な動きに対し、飛信隊の河了貂は理解できず立ち尽くしています。
しかし、麃公は「これより先は臭くてかなわん」と言い、撤退を指示しました。
呉鳳明は「流動力術を実践で試したのに、読まれた?」と呟き、それと同時に「この術が分かるのは、俺の他には李牧くらいのはず」と自信発言をしました。
尚、麃公は直感型の武将であり危険を察知し引いたわけですが、攻撃すると大打撃を食らう事を予想し退いたのでしょう。
麃公は撤退しましたが、呉鳳明は麃公や信の戦いぶりを見て「父が討たれたのもうなずける」とし、高い評価をしました。
呉鳳明が登場した理由
呉鳳明と戦った麃公が撤退している時に「もはや魏には名だたる武将はおらぬはずだか」と述べています。
この言葉は史実を現わした言葉でもあると感じました。
史記の魏世家を読んでも信陵君が亡くなった後は、魏の景湣王と魏王仮が登場するだけであり、魏の武将は描かれていません。
函谷関の戦いや蕞の戦いで魏は兵を出した記録はありますが、誰が将軍になっているかは書かれていないわけです。
こうした状況を考えると、キングダム作者の原泰久先生は物語を面白くする為に、魏の強キャラを描く必要があったのではないでしょうか。
さらに言えば、呉慶の子とする事で、物語を面白くした様に感じました。
李牧と呉鳳明
呉鳳明は函谷関を目指しますが、途中で李牧が率いる趙軍と遭遇しました。
ここで呉鳳明は李牧を観察する事になります。
李牧は呉鳳明に「素早い侵攻に務める」約束を口にすると部下は怒りますが、呉鳳明は静止し「魏軍・趙軍は互いに同列」と述べました。
さらに、この戦いを何処までやるのかと呉鳳明は李牧に訪ねると、李牧は秦国が亡ぶまでと応えています。
これを聞いた呉鳳明は「鬼だな」と感じ、李牧の恐ろしさを実感したわけです。
後に合従軍のそれぞれの司令官である汗明、オルド、成恢や李牧、春申君らが本陣に集まりますが、この時に最初に待ち合わせ場所に来たのが、呉鳳明となります。
さらに、呉鳳明は五つあった椅子の真ん中に座っており、この辺りは呉鳳明の性格が良く出ていると感じました。
呉鳳明と函谷関の戦い
井闌車
この時に、呉鳳明はいきなり井闌車を前に出しました。
普通の井闌車では函谷関の城壁に届きませんが、呉鳳明は自ら設計し対函谷関用の兵器だったわけです。
呉鳳明の発明家としての一面が見れるシーンでもあります。
井闌車は函谷関の城壁に橋を架け、魏軍の兵士が昇って行く事になります。

キングダムでは蛇甘平原の戦いでは魏の呉慶が戦死しており、山陽の戦いでは廉頗が敗れ白亀西が亡くなり、秦には連敗しており、呉鳳明は「秦には大きな借りがある」と気合を入れて出陣していました。
しかし、秦軍から樽を投げ入れられ、桓騎の火矢で放火されており、井闌車は燃えてしまいました。
呉鳳明が設計した井闌車は、あっという間に使い物にならなくなってしまったと言えるでしょう。
函谷関の初日の戦いでは、楚の臨武君が騰に討たれ、趙の万極が信に討たれました。
この後に、楚の媧燐が消耗戦を行う作戦を実行しますが、呉鳳明も作戦通りに行っています。
井闌車を利用される
函谷関の戦いは15日目が大勝負の時でした。
合従軍は函谷関を落す事を考え、呉鳳明も勝負に出たわけです。
呉鳳明は巨大井闌車だけではなく、巨大床弩を使い函谷関を攻めました。
これを見ていた春申君は李牧に「造れるか」と問いますが、李牧は「両方無理です」とも答えており、発明に関しては呉鳳明は李牧をも凌駕する存在だったのでしょう。
呉鳳明は再び井闌車で城壁に橋を架けますが、桓騎は今井闌車に樽を投げつけると、今度は煙が出て周りが見えなくなります。
こうしている隙に桓騎や張唐は井闌車を使って下に降りました。
桓騎や張唐は40人程で井闌車を使って函谷関の下に移動し、合従軍をすり抜け張唐は韓の成恢は討ち取られてしまいました。
呉鳳明の井闌車は利用され成恢が討ち取られる結果になったと言えるでしょう。
呉鳳明は知将という事になっていますが、トリッキーな動きをする桓騎を苦手とする様にも見えました。
この後に秦の王翦が燕のオルドに打撃を与え、オルドは動けなくなります。
しかし、媧燐の策は発動中であり、自らの精鋭が函谷関の裏を突く策に出ますが、王翦により阻止されました。
合従軍の函谷関を落す策は失敗に終わり、呉鳳明は本陣に戻る事になります。
呉鳳明の一喝
合従軍の本陣には、春申君や趙の慶舎や各国の将軍が集まりました。

この時に、媧燐はオルドに罪をネチネチと問い、口論となりますが、呉鳳明は「いい加減にしろ!」と一喝しました。
呉鳳明は函谷関すら抜けなかったら天下の笑い者だとも厳しく告げています。
呉鳳明は「どの面下げて帰国するつもりだ!」とも述べました。
争っている暇があったら、函谷関を落す策でも考えると言いたかったのでしょう。
しかし、諸将は李牧がいない事に気付きました。
李牧は龐煖らと共に秦の都咸陽を落す為に、既に動いていたわけです。
この後に、李牧が合従軍の精鋭を率いて蕞の戦いが勃発しました。
秦では嬴政や昌平君が懸命に防戦し、楊端和率いる山の民の援軍もあり、蕞を抜く事が出来ませんでした。
蕞の戦いには呉鳳明は参戦しておらず、最終的に本国に撤退する事になります。
著雍の戦い
紀元前239年に呉鳳明は、秦との間で著雍の戦いを行っています。
この時に呉鳳明は魏火龍七師の霊凰、凱孟、紫伯と共に戦いました。
著雍の戦いでは三日目に、魏軍は本陣への突撃を許し退却する事になります。
信が呉鳳明を追撃しますが、霊凰が身代わりとなり呉鳳明は助かりました。
什虎の戦い
呉鳳明は嫌がりますが、楚の什虎の名前が出ると納得しました。
魏では呉鳳明が7万の軍を率いて、秦と共闘する事になります。

この時に、呉鳳明は例のポーズで「秦軍と共闘し魏軍をすりつぶす!」の言葉を残してます。
什虎の戦いですが、巨大井闌車により、什虎を陥落させました。
戦いが終わると騰に対し「同盟終了後に秦への攻撃」を宣言しています。
呉鳳明と王賁
魏の太梁では大騒ぎとなりますが、魏の大将軍である呉鳳明は冷静に考えていました。
この時に、洛紫城の密偵の報告が入り、万の軍を運べる大船団が黄河にいる事を知ります。
魏の景湣王は「鳳明」と呼び、意見を聞きました。
ここで呉鳳明は秦の狙いは韓だと看過しています。
魏の軍師の玻璃は黙って上陸させるつもりなのかを確認すると、呉鳳明は洛紫城の沿岸に出陣する様に命令しました。
ただし、呉鳳明は自ら出陣せず、太梁に残りました。
秦では王賁が率いる玉鳳隊が船団を率いて黄河にいましたが、王賁率いる秦軍は洛紫城を陥落させています。
この後に、呉鳳明は洛紫城は直ぐに取り返せると考えて、状況を見るのが賢明としました。
呉鳳明は漁夫の利を得ようとしたと言えるでしょう。
王翦の子の王賁が兵を率いている事を知った呉鳳明は、時代の流れを感じました。
秦は新鄭を無血開城させ、韓は滅亡しています。
ここで、王賁と魏が関わったわけですが、史実では魏を滅ぼすのが王賁であり、最終的に呉鳳明と王賁の戦いがある事が予測できるはずです。