
黒羊丘の戦いは、漫画キングダムに登場する架空の戦いです。
残念に感じるかも知れませんが、黒羊丘の戦いは史実ではありません。
史実である衍氏の戦いを原泰久先生は簡略に終わらせており、黒羊丘の戦いを濃く描いたのには理由があると感じました。
黒羊丘の戦いは桓騎の大人の戦いが分かる内容となっています。
桓騎は残虐性を発揮しましたが、結果として予想していた損害の半分以下で戦いに勝利したわけです。
今回は黒羊丘の戦いを描いた理由や、あらすじなども交えて解説します。
黒羊丘の戦いを描いた理由とは
繰り返しますが、黒羊丘の戦いは史実ではありません。
しかし、キングダムの原泰久先生が黒羊丘の戦いを描いたのには、理由があると感じました。
黒羊丘の戦いの前は嫪毐(ろうあい)の事件であり、この後にキングダムでは楊端和が魏の衍氏を攻略した戦いが、さらっと掲載されています。
衍氏の戦いは紀元前238年に実際に楊端和が魏の衍氏を陥落させた戦いであり、普通で考えれば、衍氏の戦いを題材にしてもおかしくはないのではないでしょうか。
史実でもある衍氏の戦いがありながらも、わざわざ黒羊丘の戦いを入れたのは、桓騎の存在を際立たせる為ではないかと感じています。
衍氏を陥落させたのは、史記に楊端和だと書かれており、これを動かす事は出来ません。
さらに、衍氏で戦った魏とは呉鳳明と著雍の戦いを行っており、魏ばかりと戦うのはどうか?と考えたのではないでしょうか。
既に、楊端和は王都奪還編や蕞の戦いでも活躍しており、物語のバランスを考えた時に、桓騎を際立たせる為に、趙と戦わせるストーリーを練ったと感じました。
桓騎に関しては史実の武将であり、平陽の戦いで勝利し、肥下の戦いで李牧に敗れた記録があります。
後の戦いでの桓騎にインパクトを持たせる意味でも、黒羊丘の戦いは必要だったのでしょう。
こうした理由から、原泰久先生は、わざわざ架空の戦いである黒羊丘の戦いを物語に入れたのではないかと感じた次第です。
黒羊丘の戦いのあらすじ
桓騎の登場
キングダムでの桓騎は蒙驁と廉頗の戦いである山陽の戦いで、魏の名目上の総大将の白亀西を討ち取っていますが、元野盗のギラギラした将軍として登場しています。
函谷関の戦いでも活躍しました。
黒羊丘の戦いの前に桓騎軍と飛信隊は、拡珉で合流しました。
拡珉には桓騎兵の荒々しい者がいると同時に、娼婦もおり、どこか異質さを感じていたわけです。
ここで信は桓騎と会いますが、何かを感じ咄嗟に剣を手にしました。
桓騎は「略奪、虐殺なんでもやるから、そのつもりでいろ」と信に伝え、桓騎は「大人の戦いを覚えていけ飛信隊」と述べました。
黒羊丘の戦いの最大のテーマは「大人の戦い」になっているのでしょう。
この後に、桓騎軍の那貴が飛信隊に加わり、代わりに尾平が桓騎軍として戦う事になります。
黒羊丘の戦いでの重要なポイント
黒羊丘の戦いの前に摩論が信、河了貂、羌瘣に作戦を伝えました。

この時に、摩論は「五つの丘を全て占拠すれば勝ち」と述べており、五つの丘を占拠する事が勝利条件だと思った人は多いのではないでしょうか。
しかし、実際には中央の丘を取った方が勝利となる展開になりました。
そして、先行部隊として左は桓騎軍の雷土が配置され、右側には飛信隊が配置される事になります。
雷土隊と飛信隊の役目は、趙との戦いの場所をなるべく奥にし、黒羊の中央の丘を取るのを有利に進めるのが狙いです。
黒羊丘の戦いの初日は秦軍が押された
黒羊丘の戦いが始まりますが、飛信隊は離眼の劉冬と馬呈の妨害があり、思った様に前に進めませんでした。
軍師の河了貂も上手く対処が出来ず、飛信隊は失態を犯したと言えるでしょう。
これにより趙の総大将の慶舎は岳嬰と共に、中央の丘を取りに行く事になります。
桓騎は雷土の部隊まで行き、ゼノウに突撃の命令をしました。
ゼノウや雷土は前線で暴れていましたが、趙の岳嬰が現れて交戦状態となります。
雷土の二陣には尾平らもいましたが、慶舎は後方の第二陣を自ら攻撃しました。
後続部隊が襲撃された事で、雷土は危機感を覚えゼノウと共に火兎の笛を鳴らし撤退する事になります。
黒羊丘の戦いの初日の見せ場は、趙の方が圧倒的に多く、趙軍優勢で終わったと言えるでしょう。
尚、初日の夜に羌瘣が劉冬を暗殺しようとしますが、お互いに負傷しており痛み分けに終わりました。
ただし、羌瘣も劉冬も翌日からの戦闘に負傷により出られなくなります。
羌瘣は近所の村の婆に助けられ、離眼の悲劇の話を聞く事になります。
中央の丘の取り合い
黒羊丘の戦いの二日目が始まる前に、摩論が飛信隊に説明に来ました。
摩論は信と河了貂に話をしたわけですが、中央の丘で秦と趙の軍は戦いとなり、両サイドの飛信隊と雷土一家が軍を押し上げ、サイドから中央の丘の趙軍を攻撃すれば勝利出来ると告げました。

ここから先は、黒羊の5つの丘の中央の巨大な丘の取り合いに変わったわけです。
飛信隊の役目はとにかく趙軍を押し出し、趙の中央軍に横から攻撃を加えるのが任務となります。
逆を言えば、軍を押しこまれ後退されてしまえば、趙に同じ事をされるわけであり、非常に重要な役目を担ったと言えそうです。
河了貂の策と渕の責任感
黒羊丘の戦いの二日目に、飛信隊は軍を前に行かせようとしますが、川が流れており対岸では馬呈がいました。
川には橋もなく、飛信隊は船を持っていない事から、苦戦する事になります。
こうした中で河了貂は川に詳しい岐鮑を連れて調査を行い、趙軍が絶対に渡れないと考えた激流を渡り、趙軍を攻撃する策を考えたわけです。
激流を渡る部隊を任されたのが、渕さんであり、見事に激流を渡り切り、馬呈の軍を後退させる事になります。
馬呈の軍は軍師の劉冬の不在が響き、精彩を欠く結果となりました。
反対側にいた雷土やゼノウの軍は岳嬰と睨み合いとなり、互角の展開となっています。
中央の丘の戦い
黒羊丘の戦いの二日目は中央の丘でも、丘取りの為に趙と秦の軍がぶつかっていました。
右半円では黒桜が指揮を執っており、趙軍を相手に優勢に戦いを進めていました。
海剛は苦しくなりますが、紀彗が現れると趙軍から歓声が上がる事になります。
紀彗は角雲を討ち取り、黒桜は兵を引かねばならなくなり、右半円での秦軍の優勢は失われました。
二日目の戦いは、ほぼ互角で幕を下ろしたわけです。
黒羊丘の戦いの三日目
黒羊丘の戦いの三日目に、飛信隊は中央の丘の麓まで辿り着きました。
飛信隊の軍師の河了貂は右側から黒羊全体の戦場を動かすつもりでいたわけです。
さらに言えば、戦場にいた誰もが三日目に戦いが動くと感じました。
しかし、桓騎は動かず、結局、何事もなく終わる事になります。
何も起きなかった事で、慶舎は衝撃を受ける事になりました。
三日目に桓騎が動かなかった理由は、那貴が言う「動かない方が得だと思った」というのが、的を射ていた事になります。
慶舎が動く
慶舎は三日目の戦いで桓騎が動くと考えていましたが、桓騎は何もせず苛立ちをみせました。
この時に山の麓を見ると、飛信隊と劉冬と馬呈が交戦状態だったわけです。
慶舎は四日目になると桓騎を無理やり動かそうと考え、自らの精鋭部隊を率いて飛信隊に向けて攻撃を仕掛けました。
初日の慶舎は作戦で動いたわけですが、今回は桓騎に苛立ち自ら動いてしまったと言えます。
趙の金毛は李牧から言われた「慶舎を討つにはアミの外に出すしかない」の言葉を思い出していたわけです。
金毛は慶舎の危機を悟りますが、正面には摩論がおり、動く事が出来なかったと言えるでしょう。
桓騎は慶舎が動いたと知り、直ぐにゼノウに慶舎の軍に突撃を掛ける様に命じたわけです。
飛信隊は慶舎と劉冬、馬呈の軍に挟まれて危機的な状況でしたが、ゼノウは紀彗の本陣を斜めに横切り、慶舎の率いる軍を急襲しようとしました。

ゼノウの軍は慶舎の本陣の付近まで辿り着く事になります。
しかし、ここで紀彗は慶舎の危機と知り、自ら兵を率いてゼノウの軍を攻撃しました。
紀彗軍の奮戦により慶舎は逃げる隙が生まれる事になります。
慶舎の親衛隊がゼノウ一家の相手をする事になり、紀彗、劉冬、馬呈の三名は、紀彗の本陣に戻る事になります。

紀彗は本陣を空けていたわけですが、この間に秦の黒桜は攻勢を掛けており、周邦の地を奪い黒公に攻撃を掛けていました。
紀彗は本陣を劉冬に任せて、馬呈と共に黒公の援軍に向かう事になります。
慶舎の死
慶舎は逃亡しますが、飛信隊は追撃する事になります。
劉冬は飛信隊の動きを見ており、自ら兵を率いて攻撃しました。
この時に、負傷離脱し行方不明になっていた羌瘣が救援に現れる事になります。
信は慶舎を追撃し、最終的に討ち取る事になります。
劉冬も羌瘣により討ち取られました。
総大将の慶舎が戦死した事で黒羊丘の戦いは、終わるかに思われましたが、紀彗が金毛を説得し、慶舎の死を隠したまま続行される事になります。
桓騎軍虐殺
桓騎は砂鬼一家を使い紀彗の情報を聞き出していました。
紀彗の情報を集めた桓騎は全軍撤退を命じ、秦軍は丘を趙に明け渡し部隊を下げる事になります。
桓騎軍は近隣の村を襲い虐殺行為をしました。
この時に尾平が巴印の言葉により紫水晶を手にする事になります。
桓騎の虐殺の話を聞いた飛信隊は、桓騎に詰め寄りますが、尾平が仲裁しようとするも、紫水晶の件により信から隊を追放されました。
後に尾平は飛信隊に戻る事になります。
桓騎は自らの残虐行為を紀彗に見せつけた上で、離眼に進軍する事になります。
これが桓騎の黒羊丘の戦いで勝利する為の、最後の一手だったと言えるでしょう。
紀彗の離脱
桓騎の凶暴性を見せつけられた紀彗は趙軍を離れ、離眼城の救援に行くと宣言しました。
金毛や岳嬰は反対しますが、紀彗や馬呈の意思は固く、戦場を後にする事になります。
飛信隊やゼノウの部隊が黒羊の中央の丘を攻撃しますが、金毛や岳嬰は持ちこたえる事が出来ず撤退しました。
紀彗や馬呈は離眼の城に戻りますが、桓騎は軍を黒羊に戻る事になります。

桓騎が黒羊の中央の丘にゆっくりと登頂しました。
これにより黒羊丘の戦いは、秦軍の勝利が決まったわけです。
大人の戦い
黒羊丘の戦いの最大のポイントは「大人の戦い」になるのでしょう。
飛信隊の本陣では軍師の河了貂が桓騎が村人の死体を使って、紀彗を丘から引きずり下ろした話をしていました。
桓騎のやり方は昌平君や李牧でも決して真似できないとしたわけです。
さらに、驚いたのが戦死者の数が、開戦前の予想の半分以下でした。
これには、飛信隊の誰もが驚いています。
桓騎は信らに大人の戦いを見せつけた事になるのでしょう。
尚、黒羊丘の戦いを密かに見ていたのが李牧、舜水樹、馬南慈の三名であり、この時に李牧は「桓騎の弱点」とも述べており、何かしらのものを掴んでいました。